人と世界と影響と。


酒を飲みにいこうということになり、
ぼくは昭和通りにある橋にて待ち合わせをしていた。




マイケル・ジャクソンがこの世を去った。



享年50歳。
まさに人生50年、だ。





別段大きな影響を受けていたわけではないけれど、
知らないひとはいない、というレベルの人間が消失するというのは
相当な大ごとなのだろうなあ、と思った。



ぼくはどちらかというと妹のジャネット・ジャクソンのほうが現役で曲を聴いているので
音楽という観点でいえば彼女のほうが印象深い。




だが、「よく知らないけど、聴いたことはある」というのはもしかして最強の影響力ではないだろうか。




そんな世界に影響を与えるマイケル・ジャクソンがこの世を去ることで、
世の中はどう変化するのだろう。





それだけのビッグ・アーティストならばもちろん心酔していたファンもいるはずだし、
文字通り人生をかけていた人間も少なくはないはずだ。









だから、ぼくはマイケル・ジャクソンが亡くなることで世界は変わる、と思っていた。










なんともなしに煙草の煙を吐く。




どうもデジャヴがあると思ったら、
そういえば少し前に忌野清志郎が亡くなったのだった。
いやぁ、あのときはさすがにぼくも悲しかった。
音楽の趣味うんぬんではなく、なんとなくかっこいいなあと思っていたからだ。





ふと思う。




なぜ。




今年になってなぜこのようにビッグネームが消えていくのだ。
影響が強すぎる人間はもういらない、と言わんばかりに。
あまりに急すぎる。



まるで世界の帳尻合わせのようではないか。



世界にとって、いや、新しい人間にとって、強すぎる古い人間はいらないのか。



だとすると、新しい世代から何かが生まれるのか?



もしくは。



今いる人間にこれから起こる悲惨なできごとから、
マイケルや清志郎のような偉人を死という形で守っているのではないか?











煙草が短くなったので火を揉み消し、
灰皿に放り込む。






ぼくは軽く橋にもたれ、金曜日の夜に目を向ける。



仲間たちと楽しそうに居酒屋に吸い込まれていく若者、
忙しそうに時計を睨みビルに向かう男性、
そして息をきらせて小走りでこちらに向かってくる若い女性。










ああ、べつに世界は変わらないな。









ぼくはごめん遅くなってと肩を上下させる彼女の頭をそっと撫で、
今夜はゆっくり話をしよう、と言った。