多摩川に虹をかけた男

んと、演劇です。
川崎市に実在した偉人さんをもとに作られた、とある劇団と地元の方が出演している舞台。
友人がその公募市民として参加しており、チケットを送ってくれたので行ってまいりました。


とりあえずHPから抜粋のあらすじ。

第一幕 川崎宿場の巻


舞台は1700年当時の川崎。
ときは宝永元(1704)年の秋。多摩川に河畔にけたたましく半鐘が鳴る。小向周辺の堤防決壊が迫っていた。必死で堤防に蛇籠を積む農民たちの先頭に、川崎宿本陣当主田中兵庫や小土呂の名主根本源蔵の姿があった。
刻一刻と迫る危機に郡代官奉行は、上流上平間の堤を切り、悪水を二ヶ領用水・川崎掘に流し込めと命ずる。東海道川崎宿と六郷の渡船場を守ることは幕府にとって緊急の処置であった。
この命令に下流の小田や中島の農民のために体を張って反対する根本源蔵。しかし、いくら抗しても所詮は無力な地方役人、兵庫の説得の中に深い挫折感に陥る源蔵であった。

水飢饉と過酷な年貢米の租税、加えて助郷に駆り出される宿場周辺の農民の苦しみを自分のこととして受け止める兵庫と源蔵。養子として兵庫が川崎に来たときから、二人は密かに民政改革への願いを共有していた。
兵庫は、江戸の商人に握られている渡船の権利を何とかして川崎宿の財源として生かせないか、また宿場に客を留めるために飯盛女を置く方法も考え出した。
源蔵は民政の根本の改革に目を向けると同時に、子どもに文字とそろばん、針仕事の力をつけてやることが夢を現実に導く力になると考えていた。その考えを源蔵の一人娘ちよは胸に抱き、屋敷を開放して近隣の農民の子どもたちを集め、手習い場を営んでいた。このちよに心を寄せる兵庫の息子喜乗(よしのり)。南河原の組頭の娘で、二人の仲を取り持つおこう。喜乗は、源蔵の大きな夢に包まれた改革の意思と内容に次第に心を奪われていく。その一方で、現実的な改革をとなえる父、兵庫への目は厳しさを増していく。

 源蔵と兵庫。二人の改革路線の違いは、次第に開いていき、やがて二人の関係に決定的な事件が起こる…。


第二幕 江戸の巻


 正徳元年、兵庫五十歳、心に期することがあり、江戸へ出て一切の業務を譲り江戸に出て儒学者荻生徂徠の門下に入った。その胸には、妻、はなの死という悲しみも宿っていたが、はなと誓った「多摩川に虹をかける夢」を、かつて源蔵がそうしたように、命を賭けて実現させたい、その堅い決意があった。

 しかし、波乱に満ちた江戸での新たな出会いと危機、「民間省要」完成までには苦難の事件が待ちうけていた…。


えーと、友人の出番が思ったより多くて面白かったー。って、それだけじゃなくて。
なんか、「さぁ面白くなってきたぞ」ってあたりでぽかんと終わってしまったのが心残りで仕方がない。感想としては「ハウルの動く城」を観たときみたいな。「ちょまてよッ!」感。
会話の主軸である役だけでなく、背後でエキストラする役者さんも細かい芸ですっげー感心しました。なんてーのかな、舞台って映画と根本的に違うところは「カメラワークは自分で決められる」とこにあると思うんですよ。だから常に主役を見てなきゃいけないわけじゃなくて、背景や脇役をずっと見ることも出来る。そのぶん物語を100%楽しめるかは自分の責任になるのが面白いと思うのですよね。
だから主軸の話がおざなりかっていうと決してそうではなくて、実話をもとにしただけあって人間関係の動き方は非常にリアルだった。ただ、ちよは兵庫をもっと恨んでもよかったと思ったけどもね。要所要所で目を引くために笑いを取り込んでるのは楽しかったです。
あとまぁ当然だけど役者のレベルが学生のそれとは違うのよねー。
正座の仕方や作法だとかも本場のものだし、何より「役者さんが失敗するかも」という余計な無意識が働かなくていいのは心地よかったかな。


ふつーに観やすくて面白い話だっただけに、二幕の駆け足っぷりは残念だっとゆー、結論。



つーか、役者さんの声のでかさってすごいよなぁと改めて。
その出演してる友人自身が常に声大きめな人なので、ある意味見習わなくてはと。
おつかれっ。











そして帰りに指輪いっこなくしました。まいったなこりゃ。